北海道神宮頓宮

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頓宮への参拝が更に面白くなる!

歴史を知る

「北海道神宮頓宮じんぐうとんぐう

明治2年(1869)、蝦夷地を北海道と改称し、当時まだ広大な原野であった「札幌」で、北海道の開拓が始まりました。
開拓にあたり、「開拓民たちの心のより所に」と、明治天皇が北海道に「開拓三神」を祀るよう詔を出したのが始まりで現在の北海道神宮が誕生!

明治4年(1871)、現在の北海道神宮は「札幌神社」に命名され、
正式に「札幌神社」が建設されました。

北海道開拓の父

しま   義勇よしたけ

”北海道開拓の父”と言われ、札幌市街の設計に着手していた開拓判官・島義勇(しまよしたけ)が、当時まだ深い原生林だった円山の地に社殿を造営することを決られました。決め手は、三方を山に囲まれていて、一方は平野に開けているということだったそう。

島氏は、新政府ができた明治2年(1869)に開拓史判官として北海道に渡り、
現在の札幌市の基礎を築いた、北海道民にとっては特別な人物なのです!

北海道開拓の中心は現在同様、札幌駅〜大通周辺となって徐々に栄えていましたが、現在のように交通機関が整備されておらず、冬期間における参拝が非常に困難であるということをきっかけに、中心部として栄えていた現在の中央区南2条東3丁目に、札幌神社の遥拝所として、明治11年(1878)、「北海道神宮頓宮(当時名:札幌神社遥拝所)」が誕生!

明治23年(1890)、現在もなお頓宮さんに鎮座している、狛犬様が奉納されました。札幌軟石製の出雲型狛犬で、札幌最古の狛犬様なのです。
頓宮さんに鎮座している狛犬様は2対おり、鳥居側にある狛犬様に触れると恋愛成就にご利益があると言われ、拝殿側にある狛犬様に触れると安産・子授かりにご利益があると言い伝えられています。

頓宮さんに最初の試練が訪れる。頓宮さん誕生から23年後の明治34年(1901)、初代の頓宮社殿が火災により全焼してしまいます。しかしのち明治43年(1910)、札幌神社の古材を受け、現在の社殿が造られました。この時、「札幌神社遙拝所」から「札幌神社頓宮」と名称を改めたんだって!

以降、頓宮さんは毎年6月中頃の北海道神宮例大祭において、街を練り歩く神輿が休憩する「御旅所(おたびしょ)」となるなど、「頓宮」としての役目を果たしてきました。他にも、恋愛や子宝祈願のパワースポットとして、多くの札幌市民に愛され続けています。

02

札幌の夏の到来を告げる風物詩

札幌まつり

札幌神社(北海道神宮)の例祭が6月15日に開催することが決まりました。しかし、その年の札幌まつりは「幣帛(へいはく)[神に奉献するものの総称]」の到着が遅れたため、7月7日、岩村判官参列のもとに執り行われました。これが、札幌まつりの始まりです。

札幌の人々から神幸を願う声が起き、翌年に神輿(みこし)が巡行したのが、札幌まつり渡御(とぎょ)[神社祭礼でご神霊が神輿などでお旅所等に巡幸する事]の始まりです。

渡御にすすきのの芸妓や鳴り物の社中を、二台の踊り舞台に乗せて繰り出したのが「山車(だし)[祭礼の時、飾り物をしたり大太鼓(おおだいこ)を積んだりして引き出す車のこと]」の始まりです。明治20年(1887)ごろは、山車の飾り付けもより大きく華やかになっていきました。

ルートはその時々によって変わるけれど、頓宮さんは「御旅所」なので、ルートの折り返し地点となります。
基本は、北海道神宮を出発→札幌駅付近から道庁前付近へ→頓宮さんに到着。以降、大通り公園付近を経由して北海道神宮へ戻っていくよ!

お祭りといえば、大人も子どもからも人気があった見せ物小屋!明治25年(1892)に、木暮サーカスがトラを見せたのが始まりです。札幌では、明治32年(1899)に、創成川西側の南1西1から三条橋まで見せ物小屋を出すことが許され、創成川河畔に並ぶようになりました。しかし、この見せ物小屋も、昭和34年(1959)に火災が発生したことを機に、中島公園へと場所を移動することになりました。生憎にも、この出来事が現在も続いている中島公園でのお祭りの始まりでした。

見せ物小屋も、近代化とともに無くなっていき、最近ではサーカスもなく「お化け屋敷」の小屋が面影を残している程度です。このように、様相を変えた札幌まつりですが、現在でも中島公園では、露店が所狭しと立ち並び、毎年たくさんの市民で賑わっています。もちろん、神輿渡御は健在です。一世紀以上に渡り、毎年市民の夏の風物詩として、親しまれています。